一歩間違えれば破産する究極の選択
ここ数週間前、自分が将来のキャリアで悩んでいたとき、友達がサポートしてくれなかったら、自分はかなりやばい方向に進んでいたんじゃないかと考えていた。まぁノープランではなかったのだが、それでもただ純粋に助けてもらったことには感謝をしていて、僕は本当に良い友達に恵まれたと実感してる。
なんでこんな記事を書いているのかというと、先日自分がある大学2年生(ここではM君としておこう)に会って、彼の将来ビジョンについて一緒に考えてみたことがあった。その日は大学1年生と4年生の人生設計(27歳を目標に)を先輩と一緒に考えていた。そんなことがあったから、急にM君から連絡が来たときは、
「どうしたんだろう??」
と思った。
どんな連絡が来たのかというと、バイトをやめて、新しいお金の作り方を考えているとのこと。この瞬間わかったのが、自分が苦しいと思った瞬間の様子とすごくデジャヴったから、結構突っ込んでプランについて聞いてみた。そうするとその時の自分と全く同じ状況になっていたのがわかった。
今思えば苦しいと思っていたときの自分の状態
僕の直感はよく外れる。直感というか、勘。でも、ある程度論理立った直感は外れたことがない。その論理立った直感は、彼のメッセージが潜在的な危険信号を放っていると言っていたように感じた。そのときの自分の状況と同じポイントが必ずあると思って、投げかけた質問。
「そのプランって1人で考えた??」
その質問に彼は「うん!」って答えた。これはマズいと直感。プランについて見せてもらったとき、一刻も早く修正しないと確実にやばい方向に進む。僕の頭の中はそう言っていた。しかも当時苦しんでいた僕の状態よりやばいのが、計画なしというところ。例えると、旅行へ行くとして、とりあえず後ろを迫りくる崖にして、どこへ進もうか考える状態。行く場所は決まってない。旅行をするにも関わらず、背水の陣を敷いてしまうというやばい状態。
話が変わるかもしれないが、彼は愛が結構重い。というのも、お互いの将来像について話していたということもあって、どんな女性が好きなの??とかいうのめり込んだ話を彼と初対面の時点でしていたから知っている。(初対面でその話する??とは思うかもしれないが、そういう話の方が個人的に好き)
だからこそわかったことがもう1つある。愛が重たい傾向にある人ができないことがある。
それは、人に相談するということ。
というのも、自分が彼と似たようなタイプということがあって、そういうタイプの人間は一人で抱え込んでしまう。だから、彼が初めて自分に聞いてきたとき、潜在的なSOSを出したし、僕もかつて潜在的なSOSを出したんだと思っている。ここで人にどうやって頼って、スランプを解消するのかは後でかなり大切な財産になるんじゃなかろうか。
無理そうだったら、ちょっと身を引いて俯瞰的に見てみよう。心を休ませてあげよう。
一人で無理なら2人でやればいい。2人で無理ならもっと多くの人に頼ればいい。
さっきから潜在的なSOSと書いているけれど、なんで潜在的なのか。顕在的じゃないの??と思う人もいるだろうし、当然理由がある。危険信号を出した時のもう1つのヒントがある。
自分でやばい状態と気づいていないということ。
昔から親に、
「自分でできることは自分でやりなさい」
そう言われたことはないだろうか。僕はあるし、彼もあった。だから、自分1人で考えるということが当たり前になっていて、他人に頼るのが恥だと思っている。理解できない人もいるだろうが、3人以上の兄弟をもった長男長女なら共感してもらえるんじゃなかろうか。
一人で考えられることってのは確実に限界があるし、他人の目がないと客観視することは確実に不可能。1人だと、絶対に主観的でしか見ることはできない。彼が僕に頼ってきたのは、おそらく最後のSOS信号だと思ったから、すぐに彼に電話して、僕を助けてくれたうちの一人を紹介することにした。
一人で抱え込むのは客観視するとすごく苦しいし、その状態になってしまうと、本人は根拠も弱いのに達成できるのではと考えてしまう。もしかしたら、イケる!と思った瞬間が友人や先輩に相談するべき瞬間なんじゃないだろうか。